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シンクタンク

筆者について

デヴィッド・ラインフルト(David Reinfurt)

www.o-r-g.com*

デヴィッド・ラインフルト(David Reinfurt)氏は、文化教育機関向けのメディアを手がけるグラフィックデザイン会社O R G inc.を経営しています。また、ニューヨーク大学およびエール大学において、インタラクティブテレコミュニケーションプログラムの講師を務めています。

このシリーズについて

コラボレーションシリーズ

デザインは今、様々な分野が忙しく交錯する中で制作されるようになっています。 このシリーズでは、デザイナーとツールの関係や、アニメーション・映像・パフォーマンスを駆使する新しいタイプのデザイナーの出現について検証し、コラボレーションとは何か、コラボレーションのネットワーク形態やパターンはどういったものかを見ていきます。

ハリウッドデザイナーを目指して

ソフトウェアとデザイン

グラフィックデザイナーの仕事は、コンピュータなしには語れません。デザインの世界にコンピュータが登場して以来、デザインプロセスがブラックボックス化し、使用するツールと作品の仕上がりとの関係が、デザイナー自身にもわかりにくくなっています。しかし実際には、私たちが思うほど、ソフトウェアは謎に包まれたものでも不可解なものでもありません。複雑な構造を持つソフトウェアでも、組み込まれているプログラムを分析し、新しいコードを書き込むなど、試行錯誤するうちに理解できるようになります。ソフトウェアの知識を持ち合わせたデザイナーなら、修正や追加、意図的な誤用、拡張、分解などを行いながら、既存のプログラムをうまく使いこなして作品に活かすことができるということです。

2人の先駆者

アンソニー・フロシャー(1920-1984)とミュリエル・クーパー(1926-1994)の2人は、優れた構成力とツールを直感的に操る技術とを兼ね備えたハイブリッドなデザイナーの先駆けとなった存在です。 この2人には、書籍デザインからスタートしたこと、教師の経歴を持つこと、そして作品を制作する過程にこだわり作業環境の変化に敏感であったこと、という共通点があります。 2人は、思い通りの結果を作品に反映させる方法を築くために、ツールの使い方を繰り返し熱心に研究しました。

図1.アンソニー・フロシャー、ロイヤル芸術大学学報(1962年)

図2.ミュリエル・クーパー、SX-70にて自らを撮影(1977年)

アンソニー・フロシャーは、グラフィックデザインを様々な形で実践しました。グラフィックデザイナーとしての出発点は、ロンドンの小出版社でした。その後コーンウォールに移ると、プレス機を購入して印刷業を営むかたわら、ウルムデザイン大学*やセントラルスクール、ロンドン印刷大学で教鞭を取ります。 その間、彼が一貫してこだわり、研究を続けたのが、グラフィックデザインのツールと手法でした。タイポグラフィや植字から始まった彼の研究は、活版印刷やオフセット印刷、さらに写真植字へと発展し、当然のことながら、コンピュータへと行き着きます。フロシャーは、1984年、アップルコンピュータがマッキントッシュを発売したその年に、この世を去りました。(1)

"「私は元来、原始的なものからこつこつと積み上げていくやり方が好きで、コンピュータとは、まさしくそういう付き合い方ができました。以前は大きな組織にしかなかったコンピュータも、今では誰でも手に入れることができるほど、機器が充実しています。」" (2)

コンピュータは、フロシャーをすっかり魅了します。 彼は、19世紀初頭に始まり、コンピュータの父と言われるチャールズ・バベッジ、そして初の汎用コンピュータIBM 360の登場まで、コンピュータの歴史をすべて学びました。そして1980年、小型で値段も手頃なシンクレア ZX80が発売されると、彼はついに自分のコンピュータを手に入れ、おそるおそるキーに触れて動きを確かめてみるのでした。フロシャーはすぐさまそのマシンに夢中になり、何時間も自分のZX80の前に座っては、気の遠くなるような手書きの記録や、個人的な記憶の内容を詳細に記した図などを入力しました。彼は自分の授業にもコンピュータを取り入れ、ロンドン印刷大学の学生たちに、コンピュータ画面での表示に適した書体のデザインを実践的に指導しました。

自著のエッセイ『Two Antitypes』の中で、フロシャーはこう語っています。「シンクレアのPCが透明のアクリル製だったら、中の精巧な回路が見えて、電子機器らしさがもっと伝わってくるのに。」実際、ZX80を受け取ってすぐに、フロシャーは、自分のそのPC用の透明カバーを、セントラルスクールの工業デザイン課に頼んで作ってもらったのでした。(3)

ミュリエル・クーパーもまた、その生涯を通じて、デザインツールにこだわり続けました。 書籍デザイナーからそのキャリアをスタートさせたクーパーは、後にマサチューセッツ工科大(MIT)ビジュアル研究センターのフェローとしてMITプレスのデザインディレクターを務め、ロン・マクニールと共にMITメディアラボ内にVisible Language Workshopを設立します。この間、クーパーは、コンピュータそのものに対して興味は持ちませんでした。ただ、それを使って何ができるかということには、関心がありました。Visible Language Workshopでは、大学院生や研究者たちの主導者となり、コンピュータの画面上に表示される新しいコンテキストに特化したグラフィックデザインについて、その形式や技術、手法を粘り強く研究し続けました。1975年から1994年までそこで続けられた研究が、今のインタラクティブデザインの基礎を形作っています。

図3.ミュリエル・クーパー作 MITビジュアル研究センター ポスター(1972年)

グラフィックデザインの現場を取り巻く日常的あるいは技術的な状況に対峙するクーパーの積極的な姿勢は、生涯変わることがありませんでした。1972年当時の彼女の履歴書には、ウィリアム・モリスが百年前に書いたのではないかと思うような言葉が並んでいました。「関心事および目標:専門化・職業化に関する参加型・非独裁型コミュニケーションの重要性。事物をそのまま的確に再現する方法。」MITプレスでは、『Learning from Las Vegas』の初版本やMITプレスのロゴデザインなどを担当しましたが、その中で彼女は、新しい書籍デザイン・制作の形式と手法を試し続けました。 クーパーはこう述べています。「このMITプレスでの私たちの研究には、わずかな開発費しか出ませんでした。そこでゴム印に詰め物をしたり、切ったり貼ったり – まるで『Whole Earth Catalogue』の時代ですよね。 効果的な手法はたくさんあったのに。」 (4)

ハーバード・ムシャンプの初作品集『File Under Architecture』のグラフィックデザインについて、ミュリエル・クーパーはこう言っています。「この本は私のお気に入りの1冊でした。 70年代半ばにあって、とても斬新な作品です。茶色の包み紙にIBMのマシンを使ってデザインしたんですよ。マシンといっても、実際はエリオット・ノイスのデザインしたタイプライタで、ヘッドにはタイプボールが付いているものでした。そのタイプボールによって、書体が変えられるのです。太字にするためにボールをいちいち交換するわけですから、それは単調な作業でしたよ。」(5)

グラフィックデザインの作業に用いる日常の道具や環境に対するこういった感性こそが、アンソニー・フロシャーとミュリエル・クーパー、そしてここで紹介するすべてのデザイナーに共通のものです。 クーパーが、タイプライタ、ゴム印、切り貼り、そして時にはコンピュータコードを使用したのに対し、フロシャーは活版印刷、金属活字、タイポグラフィ、それに当時のおもちゃのようなコンピュータについて勉強しました。この実践の流れは、今日まで受け継がれています。 今日のグラフィックデザインは、コンピュータなくしては成り立たちません。グラフィックデザイナーたちは、様々な制約の中で、その独自の言語を使って、コンピュータに立ち向かうしかないのです。

斬新なグラフィックデザインツール
ユルグ・レーニは、スイスの若手デザイナー兼プログラマで、デザインとテクノロジの融合にかけては第一人者です。 ちょっとした依頼から大がかりなプロジェクトまで、彼は商用グラフィックデザインソフトの道なき道を切り拓いてきました。 そういったプロジェクトの1つに、ユルグがAdobe Illustratorのプラグインとして開発した小さいプログラムScriptographerがあります。

ユルグは、自らのWebサイト(www.scratchdisk.com)で、そのプログラムの意図について簡単に述べています。「Scriptographerはツールの使い勝手を向上させるだけでなく、非公開の製品にオープンソースの哲学を突きつけるという意味も持っています。それに何より一番いいのは、無料で手に入るということです。」Scriptographerは、簡単なインタフェイス操作で、既存のJavaScriptシンタックスを使用して、Illustrator上でスクリプトの書き換えを可能にするプラグインです。この軽量ソフトウェアによって、デザイナーの毎日のデザインワークに活用できる全く新しい描画ツールの開発が可能になります。ユルグはこう言います。「ワークフローの一部を自動化することで、新しいやり方が見つかることもあるし、これまでになかった美しさが出せることもあるんだ。」www.scriptographer.comには、デザイナーたちから寄せられた様々なフリースクリプトが公開されており、ダウンロード、使用、流用、および改造が自由に行えます。ユルグは現在、このプラグインの新しいバージョン2.0を開発中です。

Scriptographerに続いてユルグが開発したのがHektorというラージフォーマットプリンタです。拡張性があり、携帯可能、しかも人々をアッと言わせるユニークなプリンタです。ユルグは、このHektorを、ローザンヌ美術大学の卒業作品として、エンジニアのウリ・フランケと共同制作しました。スプレー塗料で壁に絵を描くというベクトルフォーマット対応プリンタとそのドライバソフトの開発には、並外れた高度な技術が要求されますが、結果は大満足でした。Hektorは、ScriptogapherプラグインをインストールしたIllustratorをノートパソコンで起動し、あとはマイクロコントロールのステッピングモータとケーブル、滑車、それにスプレー塗料という構成になっています。

図4.Hektorを使ったコーネル・ウィンドリン、ジョエル・ノードストレムとの共同作品 『Things to Do 2004』(2003年)

Hektorでは、これまでにスタジオやギャラリーでの展示、それに雑誌用の壁画を制作しましたが、それらはいずれも業界標準のIllustratorベクトルグラフィックです。 Hektorは、滑車で吊られたスプレー塗料が壁面を自由に動き回り、かえって斬新に感じられるローテクな吹き付け塗装で、壁いっぱいに緻密な絵を描くという仕組みになっています。 ハイテクとローテクが融合したこの大型の作図装置が、プロセスと結果、そのどちらにおいても、同じように見る人を満足させるパフォーマンスを生み出します。

Hektorは、アムステルダムを拠点に活動するデザイナー、ウィル・ホルダーという好敵手に出会います。 アムステルダムのデザイナー、スチュアート・ベイリーが2004年に1週間にわたって開催した、パフォーマンス、講義、映像と音楽などから成るプログラム『Tourette’ s II』では、ウィルはAdobe Illustratorでウィリアム・モリスの作品を再現し、Hektorの実力を試しました。

図5.ウィリアム・モリスのデザインを描くHektorのムービーを表示

ウィリアム・モリスのデザインを描くHektorのムービーを表示するには、こちらをクリックしてください。*

コルシカ島でウィリアム・モリスのユートピア小説『News from Nowhere』を読みながら数日の余暇を過ごした際、ウィルは、モリス社が1896年に発表したジョン・ヘンリー・ダールのデザインによる複雑な壁紙パターン『Compton』の存在を知ります。 その作品は、16色のインクをベースにプリントされたもので、緻密な連続模様の中に大胆に花を配置したそのデザインは、当時、機械と熟練の印刷職人のみがなし得る技でした。そして、それはまさしくHektor向きのパターンでした。彼はすぐさまユルグに連絡を取り、自分の提案を伝えようとします。「とにかく必死でコルシカ島からユルグにショートメッセージを送ったんだ。彼はブルートゥースですぐに返事を送って来てくれたよ。」(6)Hektorでは、そこまで大きいサイズの作品を描いたことはなく、繊細でカラフルなデザインも初めてのことでしたが、ウィルはどうしても諦めませんでした。とうとうユルグが折れ、ウィルはIllustratorでの描画を準備します。

3週間後、Hektorがアムステルダムに到着し、ウィルの要求とHektorの機能のバランスを計りながら準備が進められました。その調整役を買って出たユルグは、技術的な問題を解決し、最良の方法を見つけるために、専門家として知恵を絞ります。4夜にわたるペイントパフォーマンスの中で、Comptonの連続模様は、時折粗くなったり途切れたりすることがありました。そのたびに、ユルグはHektorのプログラムに手を加え、また、もっといい香りのする塗料はないかとアムステルダムの町を自転車で走り回ることさえしました。こうしてこの人間対機械のペイントパフォーマンスでは、ジョン・ヘンリーを思い起こさせつつ現代的なテイストを感じさせる作品が仕上がりました。この4夜のイベントを通して、Hektorは繊細さと大胆さを併せ持つ絵を、塗料を滴らせながら壁いっぱいに描きました。人間と機械との力比べは、どちらが勝つことも負けることもなく、美しい壁画を生み出しました。この時、この方法でなければ実現できなかったことでしょう。

一方、ニューヨークでも1人のアーティスト兼デザイナーが、ある偶然をきっかけに、見事な壁紙を創り出していました。それはカラ・ハミルトンが自分のスタジオRed Hookでコンピュータに向かっていた時のことです。彼女はAdobe Illustratorで1本の直線を引こうとしていました。実はこの時、彼女はこの新しいソフトの使い方をまだマスターしていませんでした。線の太さを一番細くしたかった彼女は、旧バージョンのIllustratorに切り換えます。Illustrator 3.2では、全ての線にヘアラインを選択しました。ヘアラインを設定するだけで、太さのポイントを指定しなくても、最も細い線が得られるのです。描き終えてレーザープリンタで印刷した絵を見て、彼女はびっくりしました。しかしそれは嬉しい誤算でもありました。その旧バージョンのソフトウェアを最新のプリンタドライバや繊細なレーザープリンタと一緒に使うと、描いた絵はかろうじて見える程度にしかページ上に出力されず、はかなげに輝いているかのような印象に仕上がっていたのです。カラはこのヘアラインの手法を壁紙の作成に応用し、部分的あるいは全体的にこの効果を活かしました。この壁紙を生み出したのは、複雑なソフトウェアについての専門的な知識でもすぐれたデザイン力でもありません。ちょっとしたミスとそれをチャンスと捉える感性が、この結果をもたらしたのです。

韓国ソウルのデザイナー、チェ・ミンは、コンピュータに向かいグラフィックデザインの作業をする毎日の中で、繰り返される事象が、いつも同じか、いつも少しずつ違うかという規則性に対する鋭い感性を持っています。ある日コンピュータの前に座っていたミンは、単語や文をキーボードで入力すると、入力する単語やタイミング、状況によって、キーを叩く音が異なるということに気付きます。ミンはこの発見をデザインに応用して、動く書体を作り出すカスタムアプリケーションType-Machine-Gunをプログラミングします。

ミンはこのType-Machine-Gunについてこう述べています。「これは音に反応するワードプロセッサです。このソフトを使えば、言葉のイメージを動的に表現できます。コンピュータのマイクに接続されていて、キーボードを叩く強さによって、文字を生成したり変形させたりするのです。」文字の変形の度合いは、タイピングの音、強さ、速さの度合いに比例して変わります。タイピングの結果は形のあるタイポグラフィとして現れ、記録されます。毎回、特定の単語を入力すると、必ず決まった形の文字が出てきます。彼の開発した書体プログラムは、それぞれの文字が次々と変化する、単語が画面上を踊る、変形がスムーズに行われる、といった特徴を活かしています。

デトロイトを拠点とするデザイナー、ダニエル・オーベールもまた、Microsoft Excelを使用してソフトウェア主導の作品を制作しています。経理担当者や管理職クラスの人たちに必携の表計算ソフトから、グラフィックデザインが生み出されようなどと誰が考えるでしょうか。しかし、カラーコーディングやデザイン、そしてスプレッドシートをキャンバスとして使用するといった、これまでにないグラフィックの可能性を見出したエール大学大学院生のダニエルが、2005年5月にこのプログラムを完成させます。自由でありながら一貫した研究の中で、ソフトウェアの意図的な誤用を行うことにより、ダニエルは、自分なりの方法を何度も試すことがいかに予期せぬ結果を生むかを明らかにしています。彼の作品『58 Days Worth of Drawing Exercises in Microsoft Excel』に必要だったのは、特別なプログラミング技術でも専門的な才能でもなく、豊かな発想と特定のテーマ、そしてデザイナーが日常使うソフトウェアとのクリティカルな関係でした。

図6.ダニエル・オーバール作、『58 Days Worth of Drawing Exercises in Microsoft Excel』(2004年4月)

最後に紹介するのは、オランダのハーグ市にあるデザイン会社です。これまでに述べてきたような新しい考え方の多くを取り入れながら、さらに別の分野のグラフィックデザインやソフトウェア、そしてより幅広い層の人たちを対象として活動するLust社は、トーマス・カストロ、ジェロエン・バレンゼ、ディミトリ・ニーウェンハウゼンによって設立された総勢5名のデザイン会社です。印刷、インタラクティブメディア、建築グラフィックスなど、彼らの扱うメディアは様々で、彼らは自分たちの仕事を、「プロセスベースのデザインと偶然を中心に展開している」と表現しています。

最近、Lustはハーグ市アートシネマ(Filmhuis)からの依頼で、そのファサードを総合情報スクリーンに変えるというプロジェクトに取り組みました。LCDやLEDなどのランプを使う予算はなく、また窓を不透明なスクリーンにするつもりはなかった(街の広場の眺めを遮ることになる)ので、最大限の効果を出すために、ローテクとハイコンセプトを組み合わせた特別な解決法を提案しました。ハーグ市を模ったグリッドパターンに半透明の四角いビニールフィルムを貼り、強力投光器で光を当てることで、ファサードをいきいきと映し出すのです。このスクリーンだと、市内で行われている催しを表す四角いビニールフィルムを1つずつライトアップしていくだけで、何も動かすことなく、簡単な操作ですぐに動きを演出できます。

図7.Lust社(トーマス・カストロ、ジェロエン・バレンゼ、ディミトリ・ニーウェンハウゼン)作、Filmhuisファサード、ハーグ市 (2005年)

LustのWebサイト(www.lust.nl)のトップページを見ると、彼らの目指す方向性をうかがい知ることができます。冒頭の会社を紹介するグラフィックやテキストに代わってそこにあるのは、5人のメンバーが現在使用しているコンピュータのデスクトップ画面を組合せ、強烈なピクセレーションをその縦横に施した画像です。複雑ながらローファイなスタジオのモニターシステムにインストールしたEvoCamと呼ばれるソフトウェアが、Lustのメンバーが作業を進めるデスクトップ画面を5分おきに捉え、記録し、変形します。そしてこれらのスクリーンショットは、LustがカスタマイズしたMacromedia Shockwaveのプログラムによってオンザフライで処理され、縦縞やモザイクが入った画像が組み立てられるのです。彼らのWebサイトに今すぐアクセスして、5人のデスクトップを組み合わせた合成画像をご覧になってください。そこには、新進気鋭のグラフィックデザイナーたちが、自ら開発したソフトウェアによって映し出す、彼らの「今」があります。

図8.Lust社(トーマス・カストロ、ジェロエン・バレンゼ、ディミトリ・ニーウェンハウゼン)作、『Desktops』、ハーグ市(2005年)

プラグインアーキテクチャ
プログラムを作り、組み込み、実行するというこれまでの手順の中にも、複数のソフトウェアを掛け合わせた強さを持つハイブリッドなグラフィック技法が新しく登場しているようです。 私たちは、Adobe Photohsop、InDesign、Illustratorのトリオ、Quark Xpress、そしてMacromedia Flashといった多様な選択肢の中で、毎日同じソフトウェアを使い続けています。「世界中のグラフィックデザイナーのほとんど」が毎日同じアプリケーションを使っている、とユルグも述べています。どのソフトウェアも、使いやすさを最優先に考えて、ファンクションセット、ソフトウェアパラダイム、ユーザシナリオが綿密に組み立てられているため、結果的に、ハイもローも、エラーも、そして何かを生み出すかもしれない「クセ」もない平均的なツールになっています。

従来私たちグラフィックデザイナーが使っていた道具は、例えば鉛筆のように、限られた機能を持つシンプルな物か、もしくは、カメラのように複雑で多機能な物のどちらかしかなく、両方の性質を併せ持つことはありませんでした。これは、そのまま現在のソフトウェアツールの問題点でもあります。限定された機能に複雑な仕組みを持つ業界標準のグラフィックデザインソフトは、標準のツールやテクニックを超える制作意欲をユーザに起こさせるものではありません。従って、当然のことながら、ソフトウェア環境のマンネリズムを打破するようなグラフィックデザインは滅多に生まれてきません。

しかし、どのソフトウェアもモジュールと様々な要素から構成されていることを考えると、コードライブラリ、アプリケーション、バージョンなどの隙間に可能性が残っていると言えます。大手のソフトウェアメーカーは、これを認識しています。ソフトウェアに内在するこのモジュール方式のフレキシブルなシステムの正体は、グラフィックプログラムやWebブラウザ、コードコンパイラ、データベースアプリケーション、さらにはゲームにも標準となっているプラグインアーキテクチャです。プラグインというのは、別のソフトウェアの中で動くプログラムで、特定の機能を拡張したり実行可能にするためのものです。機能の追加(Photoshopの渦巻きフィルタ)、既存の機能の拡張(インクジェットプリンタでスプレー塗料の使用を可能にするプリンタドライバ)、あるいはインタフェイスの変更(Quark XPressの3Dウィンドウフレーム)といったことが可能になるわけです。

図9.

プラグインは、1988年前後に、Silicon Beach社製SuperPaint 1.0に初めて登場しました。 それに続いて、Photoshopもバージョン0.87からプラグインアーキテクチャを採用しています。 (7)ミシガンとカリフォルニアを中心に活動するフォトグラファ兼プログラマ、トーマス・ノールとジョン・ノールの兄弟は、複雑なアプリケーションコードを変えることなく、自分たちの開発した画像編集ソフトの修正を簡単に行いたいと考えました。彼らはすぐさま、プラグインを使って、第三者の作ったフィルタエフェクトを自分たちのツールに様々に応用しました。この修正が、強力で最新のソフトウェアの成功に大きく貢献したことは言うまでもありません。お分かりのように、これが現在アドビの作るPhotoshopです。今では、市場をコントロールする影響力を持ち、以前のXeroxやKleenexがそうであったように、画像編集ソフトの代名詞となっています。

プラグインアーキテクチャによって商用プログラムをコンピュータマニアにも一部開放する、もしくはMozilla FirefoxやMac OSXのように、アプリケーションソースコードを公開あるいは販売するといった動きを通して、大手のソフトウェアメーカーは、大勢のユーザとプログラムを共有することにより、ソフトウェアが真の進化を遂げるということを認識してきました。オープンソースオペレーティングシステムのLinuxは、フィンランド人プログラマで当時まだ学生だったリーナス・トーバルズがたった1人で開発を始めたところからスタートしたプロジェクトです。「僕が開発しているのは、フリーオペレーティングシステムです。これは単なる趣味なので、GNUみたいに大がかりでプロフェッショナルなものにはなりません。」彼がこう語っていた頃から14年が経ち、このフリーソフトウェアプロジェクトは見事な成功を収めます。これは、たとえ興味を持った個人の寄せ集めでも、特別なやり方をすれば、価値のあるソフトウェアを効果的に開発し、利用し、修正できるということを証明する具体例となりました。 また、業界標準の市販ソフトウェアに頼っているだけの今のデザイナーにとっての可能性をも示しています。責任を持ってソフトウェアをクリティカルに使用し、製品の仕組みと向き合い、互いに質問し、古いソフトウェアを使い、情報を共有し、新しいソフトウェアを作り、そして最新技術の単なる消費者であることを拒む — 全てあなたにも私にもできることです。ミュリエルやアンソニー、ウィル、Hektorらの例が示すように、結果は必ず自分自身、そして自分の作品に返ってきます。

注記
(1)ロビン・キンロス(Robin Kinross)著、『Anthony Froshaug:Typography and Texts』(ロンドン、Hyphen Press刊、2000年)
(2)同上
(3)同上
(4)エレン・ラプトン(Ellen Lupton)によるミュリエル・クーパー(Muriel Cooper)氏インタビュー、http://designwritingresearch.org/essays/cooper.html、1994年
(5)ジャネット・エイブラムズ(Janet Abrams)著、『Muriel Cooper's Visible Wisdom』http://www.aiga.org/content.cfm?ContentID=655*、1997年
(6)ウィル・ホルダー、電子メールより、2005年
(7)マーク・ポーリンガー、電子メールより、2005年