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vol.1 モーション グラフィックス の魅力 |
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vol.2 モーション グラフィックス展 の軌跡と未来 |
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vol.3 モーション グラフィックス '97 & '98 |
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vol.4 モーション グラフィックス '99 & 2000 |
開催記念企画:第2弾 ナガオカケンメイが語る 「motion graphics展参加作家の素顔」
vol.7 西光彦 菱川勢一 / DRAWING AND MANUAL |
vol.6 松本弦人 / SaruBRUNEI 澤田幸 / moss design unit |
vol.3 グルーヴィジョンズ 小島淳二 / ティ・ビィ・グラフィックス |
vol.2 イナダマナブ/ MTVi Group 江口カン/ 空気モーショングラフィックス2 |
vol.1 中村克也 / AGES 5 &UP Art Durinski / the Durinski Design Group |
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Motion Graphics 2000 開催記念企画 : 第1弾 interview with ナガオカ ケンメイ/ドローイングアンドマニュアル
vol.2 「モーショングラフィックス展の軌跡と未来」
97年、無印良品のロゴを動かした。 98年、天才バカボンの擬音「ポカ」を動かした。 そして、99年夏は、大阪企業のマーク達が動いた。 そして2000年、モーショングラフィックス展は何を動かそうとしているのか。
グラフィックデザイナーであるナガオカケンメイと映像作家の菱川勢一が、ドローイングアンドマニュアルという会社を設立して互いのプロセスを合わせることにより、モーショングラフィックスの魅力を最大限に表現できるようになった。その認識を広く普及させ、ビジネスにおける基盤を固めるためにも、モーショングラフィックス展というイベントを通じて、プロモーションを行うことになる。「最初から、天から仕事が降ってくるとは思ってなかったので、まず自分達がこれからやっていくジャンルを活気づかせたかった。展覧会をやりたいというより、そこの中心にいつもいたいという気持ちも込めて、このジャンルに関わる色々な人達が盛り上がることによって、みんなが生活できるようになるんじゃないかという広い意味もありました。そんな背景で第1回をやってみようと思ったんです。自分達でやらないと誰もやってくれないし、待っていても市場が開かれてないと流れがやって来ないじゃないですか。だから始めは自分達のために企画したっていうところもありましたね」。
そして行動を起こしたのが96年。展覧会形式にすると決定してから、全く初めての試みに紆余曲折を経ながらも、約1年半後、97年の夏に第1回の開催が実現した。「コンセプトが素晴らしいとか言うことよりも、みんなこういうものを欲しがってたんですよ。電話ボックスや街中のモニタ表現が、静止画像の表示から動きのあるモーショングラフィックスへと移行して、そのデザインが重要視されるようになった。97年頃には何となくわかっていて、それに気付いていなかったのは、クリエーターだけじゃないかというくらい。だから、それに気付きはじめた人達が、これは面白い企画なんだと判断して、支援してくれたんです。たしかな感触がありました。こういう世界がこれから始まるな、という」。
モーショングラフィックスの将来性・可能性をいち早い段階で見抜き、97年以降モーショングラフィックス展を継続しているナガオカケンメイに、その動くグラフィックデザインがすっかり定着した今後の展開を聞いた。「確かに96年は『何それ?』って言ってたのが、97年には『面白い』98年、99年には既に当たり前になってるんですね。そして2000年の今は、もう結構飽きてるかもしれない。でも飽きたからと言って、我々は次の仕事に業種換えするのかというと、そこで食べている人達はいっぱいいるわけですよ。ジャンルが成熟したからと言ってやめてしまうのではなく、時代ごとに合わせたモーショングラフィックスという切り口で、常に違うことをやっていきたいですね。そして、大きなはずせないテーマとして、一夜で終わってしまうような夢物語的なイベント映像ではなく、日本の文化に根付いていて、実際にお金が動く市場的な部分を意識して企画をする、ということがあるんです。今回のカラオケ文字もそうだし、特に1回目のフライングロゴは永遠になくならない需要ですから。だから2001年はもっと、展覧会と言いながらも、消費に密着したようなテーマでつくりたいです。こうやって我々が生活して、生活の中にモーショングラフィックスが入り込めば入り込む程、テーマに詰まるということはないですよね」。
モーショングラフィックスに活気を与え、広め、定着させるのに多大なる貢献を果たしたナガオカケンメイだが、まだまだこのジャンルに対する思いはつきない。「モーショングラフィックス展を進めていく上で、最初はプロデューサーという立場の自分にスポットを当てて欲しかったんですよ。なんでもそうですけど、すごい舞台があって、みんなそこに上がりたいわけですよ。でも、舞台というのは、ある日突然現れるわけじゃなくて、誰かがつくったものですよね。それをつくることの魅力を色々な人に教えてあげたい。みんな舞台に上がりたいばかりで、舞台そのものをつくりたいという人が出てこない。CGクリエーターとして学校を卒業して、舞台に立ちたいと思っても機会がなくて、全然関係ないバイトをしなければ食べていけないという状態になってしまう。それではあんまりなので、僕自身が、すごく楽しそうに魅力的に舞台づくりをして、そこには作家との交流があって、作家も僕のことを信頼してくれて、そこから成立する1つの展覧会という形を見せて、舞台づくりも面白いんだということを伝えたいんです。
今後の僕の課題としては、今まで僕という人間が前に出て展覧会を引っ張てきたところを、どうやってフェードアウトしていって、モーショングラフィックス展という名前の展覧会だけを、離陸させるかということですね。いつまでも僕1人でやっていくわけにはいかないので、展覧会があるイメージを背負うことができた時点で、上手に離陸させる方法を考えないと。『ソーホージャーナル』(マップ出版社刊)という雑誌があるんですけど、アートディレクターが毎号変わるんですよ。誰かがそこまでのレベルに引き上げたという功績はあるんですけど、持ち回りでその仕事を受けることが自体が名誉なんですね。モーショングラフィックス展も2001年は誰々がプロデュースをするとか、そういう風に持ち回れたらいいなあと思います。で、僕もいつか逆に参加してみたいなって。実は一番参加したいのは僕なんですよ。毎回テーマを考える度に僕だったらこんな作品を出すのになって思ってるんです。でも企画して舞台に上がることはしたくないので。いつかレベルの高い展覧会にした時に、色々な人にプロデュースしてもらって、自分が逆に指名を受けて作品を出す、というのが夢ですよね」。
次回はナガオカケンメイインタビューvol.3 「モーショングラフィックス'97 & '98」
モーショングラフィックス展 公式サイトはこちら http://www.motiongraphics.org/
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ナガオカケンメイ 1965年北海道生まれ。原宿サンアドなどのデザインワークを経て喫茶店を名古屋に開業し、以後4年間経営。お店のテーブルで制作した公募作品が89年朝日広告賞を受賞し再度上京、日本デザインセンターに入社。翌年、原研哉氏と日本デザインセンター原デザイン研究所を設立。竹尾ペーパーワールドの企画プロデュースなどを手がけ、グラフィックデザイナーからマルチな活動へ移行する。1997年、映像とグラフィックデザインの間にあるモーショングラフィックスの可能性を探るべく、 ドローイングアンドマニュアルを設立。 |
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