Web
Born Magazine
デザインと詩の融合

文学、Web、さらに未来までも視野に入れて


October 2001
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Webデザイン・オフィスで、エミリ・ディキンソンの詩集がPHPのマニュアルと並んで置かれている光景を目にすることはまずないだろう。バイロンのペーパーバックがランチ・バックに詰め込まれている光景にも、そうお目にかからない。たしかにデザイナーと詩人の交流は、そうひんぱんに起きていることではないが、ボーン・マガジンでは、驚くほどうまく互いに協力しあっている。

ボーンは詩の視覚的な解釈をテーマにした季刊のWebパブリケーションだ。典型的なワークフローは、まず詩人が詩を提出するところから始まる。ボーンの編集者たちがそれに目を通し、作品が気に入ればデザイナーに回す。デザイナーは原作の詩人と相談し、この詩をテーマにしたインタラクティブな作品をデザインする。

彼らはありとあらゆる分野の仕事を手掛ける。朗読を用いる者もいれば、映像的な解釈を提案する者もいる。「残されたものと共に歩む (Walking Together What Remains)」に添えられたエリック・ナトツェックの「風にそよぐタイポグライフィ」のように、デザインとテクノロジーを追求する例もある。「かゆみ(The Itch)」のように、とっぴな表現をめざす者もいる。これは、ビジターがスクリーンをマウスで「かく」ことをしない限り、詩が現われない仕組みになっている。

私たちは文芸誌のオンライン版をやっているわけじゃないんです」と編集者のアンマリー・トリンブルはいう。「だからといってアート・ギヤラリーというわけでもありません。Webだからこそ楽しめる作品を制作していると考ています」。

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「赤ずきんちゃん(Little Red Riding Hood)」アーティスト:チュー・クォン・マン「ハネムーン(Honeymooning)」アーティスト:ワン・テン・デザイン、詩:モニカ・ドレイク「残されたものと共に歩む(Walking Together What Remains」(アーティスト:エリック・ナトツェック、詩:クリス・グリーン)
またトリンブルは口にこそ出さなかったが、ボーンの成功のかなりは、彼らが両陣営の選り抜きの才能を抜擢している点にある。詩作品については、ピュリッツァー賞やプッシュカート賞、年間アメリカ詩傑作集に名を連ねている定評の高いアメリカの詩人たちを起用するのも珍しくない。デザイナー陣にもやはり、ヒルマン・カーティスオーリア・ハービージェイムズ・パターソンジミー・チェンといったこの分野のビッグネームが顔をそろえている。

しかしボーンは、順調にスタートを切ったわけではもちろんない。デビューを果たしたのは1997年、シアトルの地元の文芸批評と学生デザイン・プロジェクトの合体としてだった。控え目にいっても、当時の質にはばらつきが大きかった。すぐれた作品も一部にはあったが、しかるべき権威ににらまれたなら、縛り首にされてもおかしくないものが大半だった。

それでも制作ディレクターのゲイブ・キーンはあきらめなかった。ぶあつい眼鏡をかけて、笑みをたやさない、きわめつけの大男、キーンは、人が一般にイメージするような詩の後援者には似ても似つかない。現在でも、ボーンに載ったものを除けば、めったに詩を読まないし、かつてはまったく読まない時代もあった。しかし彼がこのプロジェクトに夢中なのははっきりしている。「デザイナーとして人が仕事に取り組む場合、それはほとんどがコマーシャルだ」と彼はいう。「こちらはフィーリングが違う」

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「彼の父は自動車の排ガスの中に(His Father in the Exhaust of Engines)」(アーティスト:マーク・ストリックリン、詩:ジュディス・H・モンゴメリ。ボーン・マガジンWebサイト、ディテールはジェームズ・パターソンのドローイングより)
キーンのリーダーシップの下で、ボーンのデザイナー陣はめきめきめと力をつけた。一方の文学者側は、彼がポートランドのセカンド・ストーリー社に仕事をみつけ、そこでトリンブルと出会うまで、待たざるをえなかった。その頃の彼女は「詩の行動派」を自称しており、地元の大学で創作を教えるだけではなく、ときおり友人といっしょにオレンジ色のスーツでドレスアップして「光を浴びた詩人」を装い、バス停や駅で詩を朗読していた。

当初、トリンブルは、誰かに自分の作品をいじられるのにあまり気が進まなかった。だが、試しにやってみて、のめりこむようになった。「他人が自分の作品を解釈するのを目にするのはすばらしいことでした」と彼女はいう。「まるで読者の頭の中をのぞきこむようです。デザイナーが私の作品に手を加えたとき、情緒的、知的に私がどんなリアクションを受けるのかわかるようになりました」

ほどなくして彼女はボーンの編集業務を引き受け、ジェニファー・グロツら、仲間の詩人にも協力を求めるようになった。人材を集めるのは、トリンブルが最初予想していたよりも、はるかに簡単だった。ボーンに寄稿してくれた詩人のほとんど全員が、結局は、その熱心な支持者になり、どのプロジェクトからも、将来を期待させる才能が続々と育っている。

「スティーブ・ダンがかつて言ったように、詩は珍しいものを親しいものに変え、親しいものを珍しいものしてしまう」とボーンに寄稿している高名な詩人、ブルース・スミスはいった。「私にとってボーンでの経験とは、それをあらためて実感したこと、そして自分が書いたものを誰か他人の目でみつめるということでした。私にとって、それはまったく親しいものであると同時に、珍しいものでした。私には天恵といえます」

ボーンは最新版を2001年10月1日に公開しているが、プランはまだまだ目白押しだ。近い将来に非営利組織への転換を図っており、それが実現すれば、設備や出張費などの資金集めが楽になる。現在は、すべてのテーマで聴取者の数を伸ばし続けている。

Adobe.comのシニア・エディター、ジョー・シェプターは、自分の詩集を刊行したいと考えることがよくある。ありがたいことに、誰も賛成してくれはしない